三瀧山不動院

三瀧山不動院について

三瀧山不動院

仙台市の商業の中心地クリスロード(青葉区中央二丁目・旧新伝馬町)に鎮座して、商売繁盛・家内安全をご祈願する加持祈祷専門の寺院です。 三瀧山不動院

三瀧山不動院のご本尊不動明王

三瀧山不動院のご本尊・不動明王 不動明王は、大日如来のお使いとして仏法の守護にあたる仏さまです。信じるものを保護し悪魔を降伏させる役目をもっており、眼は怒らし両牙を咬んで片眼をひらき、右手には剣を左手には索を持ち大火焔を背負っていられます。どのような強敵怨賊もたちどころに追い払い信じる者を守って下さる仏さまであります。酉年生まれの守り本尊であり、眼の守護仏でもあります。
 当寺のご本尊は、木像御丈二尺八寸、東二番丁の住人・中川兵衛仏師が安政三年(1856年)の作とされています。この兵衛師は当時日本でも有名な仏師で十三代慶邦公が農民の像を命によって製作したのが中川兵衛師であります。
脇仏  矜迦羅童子・制吁迦童子

守り本尊本堂2階にございます

守り本尊 守り本尊とは
 干支の起源は古く殷の時代(紀元前1500から紀元前100年)に既に日を数えるのに干支が使われていました。
物を数えるのに物と指を一つずつ対応させて指折り数えるのが数の最も基本的な原理だから日を数えるのにあたって一二三・・・の変わりに甲乙丙・・・をあてたのが十千である、それでは十二支の方はどうであろうか、時を測る基準としたものは太陽と月であった、太陽は一日を区切り、月の満ち欠けの一まわりが、三十日を一つの単位として一ヶ月が生まれたわけである。
一年を月の満ち欠けによって十二に分けたその一つ一つの区分「支」が子丑寅・・・である。 守り本尊2
 仙台では古くから卦体神(けたいがみ)あるいは守本尊と称してその人の生年の十二支をとって子年であれば千手観音、丑寅が虚空蔵菩薩という信仰の風習が古くから行われてきた。これは全国的にも通ずる信仰形態でもあった。
古くからといっても藩政時代に入ってからであるということはいうまでもない。この信仰は伊達氏が仙台に入府してのち社会の安定を見せた十七世紀中頃以降と思われる。仙台にあっては忠宗の治世になる。この時期までには守り本尊に関係する
社寺は一応その体制を確立したと思われる、それに土俗的な民間信仰も加わりこの卦体神信仰が徐々に民衆の中に芽生えていった。
守り本尊3 十二支守本尊(生れ年の御守本尊)
子・・・・千手観世音菩薩
丑寅・・虚空蔵菩薩
卯・・・・文珠菩薩
辰巳・・普賢菩薩 午・・・・勢至菩薩
未申・・大日如来
酉・・・・不動明王
戌亥・・阿弥陀如来
守り本尊4
守り本尊5